この長編の〈Book1〉と〈Book2〉では、青豆と天吾の物語が交互に語られる形で進行していく。〈Book3〉では、この2人にさらに私立探偵の牛河が加わり、3つの物語が同時に進行しながら展開する。
〈Book2〉まではスリルとサスペンスにあふれたスピーディーな展開だが、探偵が加わってからは、ゆっくりと進んでいく。全体を通して、物語の背景には無音の世界が広がる。そこからは、これまでの村上の作品とは違い、歌や音楽も消されている。何かが何かに向かって一歩ずつ静かに進んでいる。
タクシーで仕事に急ぐ青豆は首都高で渋滞に巻き込まれ、非常階段を使って一般道に降り、そこから電車に乗り換えようとする。物語はここから始まるが、このとき彼女が降り立った世界は、現実の「1984年」ではなく、もうひとつの別の世界である「1Q84年」であった。
いわゆるパラレル・ワールドの物語ということになるが、〈Book3〉の結末では、それが単に並行世界ではなく、さらに複雑な多重世界に入りこんでしまったかもしれないという暗示を残して終わる。青豆にはスポーツ・インストラクターの仕事以外の別の顔がある。それはまさに「必殺仕事人」さながらの殺人請負人としての顔である。
一方、天吾は予備校の数学講師をしながら小説家を目指している。彼は親しい編集者の企画で、ふかえりという17歳の少女の文学賞応募作品『空気さなぎ』を書き換える仕事を請け負うことになる。その結果この作品は賞を取り、ベストセラーとなる。
別々に進行する2人の物語だが、青豆と天吾は小学生の時に同級生であった。ある時、両親が証人会の信者であるために、いじめにあっていた青豆を天吾が助ける。2人は無言で手を握り合うのだが、このことがこの作品の核となり、最後まで1本の線として途切れずに続いていくことになる。
当時2人は10歳であった。天吾は日曜日になるとNHKの集金人である父の仕事で連れまわされ、そのことが嫌でたまらなかった。青豆も両親の布教活動に連れられて日曜日がつぶれてしまうという共通点があった。しかし、その後2人はこうした親と決別し、自分の道を切り開こうとする。そうして20年の歳月が流れ、運命は2人を再会に向けて1歩ずつ近づけていく。
天吾がゴーストライターを務めたふかえりの父親は宗教法人「さきがけ」のリーダーであり、この男を青豆がある老夫人の要請により殺害することとなる。こうして彼女は「さきがけ」から追われる身となる。また、ふかえりが描いた世界はこの閉鎖的な宗教法人の秘密であるリトル・ピープルのことを世間に暴く内容であり、天吾も同様に「さきがけ」の敵となる。
探偵の牛河は「さきがけ」に雇われて2人を追うこととなる。青豆は「さきがけ」のリーダーに、天吾を救うためには自分自身が死を覚悟しなければならないと告げられていたが、最終的に自殺を思い留まる理由は彼女のお腹には天吾の子どもがいることがわかるからである。2人は交わることなく、新たな命が宿るのだ。
受胎告知的な進展だが、彼女はこの命が天吾の子であると確信する。おそらくふかえりを通して、この命は芽生えたようだ。この命の声に従い、青豆は生きることを選ぶのだ。最後に2人は20年ぶりの再会を果たし、青豆が降りた首都高の非常階段を逆に昇ることで、もとの世界に戻ったようだ。
しかし、それがほんとうに「1984年」であるかどうかはまだ分からない。2人はさらにまた別の世界へと迷い込んだ可能性も残されている。
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