2011年11月6日日曜日

アフターダーク

作家生活25周年を記念する書き下ろし長編小説。
この作品の舞台は大都市そのものであり、しかも真夜中から夜明けまでの物語だ。まさに村上の得意とする都市小説だが、これまでとは何かが違う。まず、「僕」はもはや登場しないこと、そして、物語の舞台が渋谷に限定されており、非常に閉塞的な感じが強い。

また、これまでの村上作品世界の顕著な特徴である2つの世界の区分がはっきりと描かれていない。さらに、断片的な事象が最後に1本の線としてつながっていくこともない。いや、正確に言うと、そのつながり方が不明瞭なのだ。その点において、読後感が今ひとつすっきりしない。村上ワールドのこれまでのモチーフはすべて網羅されているといってよい。

孤独、喪失、などなど。それなのに、それらが断片的に提示されているだけで、読者としては戸惑いを隠せないまま物語は進んでいく。しかし、よく読むと、あるいは、読者が断片を上手くつむぎ合わせることができれば、1つのことが形を成してくる。この作品の大きなテーマの一つは「眠り」についてである。

ひたすら眠り続けるマリの姉。本来人々が眠っているべき時間である夜に活動している人々が描かれている中、この悌眠り続ける女性は対照的だ。眠るべき時に眠らない、あるいは眠れない人たち。逆に起きているべきときにも眠り続けている人。ここにも明確な境界線の消失が見て取れる。マリと同様、われわれは深い眠りへの渇望を抱きつつも、なかなかそれを実現できないでいる。どこかで常に覚醒している自分があるのだ。まさに大都市の夜が眠りにつかないのと同様に。

そしてもう1つのテーマは、夜という箱に閉じ込められている人々である。地震で瓦礫の下に閉じ込められたように、狭い暗闇に閉じ込められる感覚が、現代の大都会に生きる若者たちの感覚とぴったり一致しているような気がする。夜という暗闇の中に閉じ込められている人々の生態を描いているとも言えそうだ。

「深海の生物たち」というタイトルの自然記録番組のことがさりげなく描かれているが、これは象徴的なタイトルだ。まさに大都市の夜に覚醒している人々そのものである。そこには言葉はなく、静かな光景があるだけだ。事実、エリとマリの姉妹には子供のころにエレベーターに閉じ込められた経験がある。ただ、恐怖の中、そこには1つの「一体感」があった。それは2度と戻らなかったとマリは言うが、この深い夜の海の中で、姉を知っているという高橋に始まり、何人かの人々との交流を体験する。

中国人の娼婦との触れ合い、そして、どんな記憶もそれは生きるための燃料だというラブホテルの従業員の言葉。こうした中で彼女は少しずつ眠りの世界へと誘われていく。「短いけれど深い眠り。それは彼女が長いあいだ求めていたものだ」。こうしてマリはもう1度姉との一体感を取り戻す可能性を得る。

姉の呼ぶ声が聞こえる。夜明けとともに、エリに変化が起こる、「エリの小さな唇が、何かに反応したように微かに動く。……今の震えは、来るべき何かのささやかな胎動であるのかもしれない。……意識の微かな隙間を抜けて、何かがこちら側にしるしを送ろうとしている。……私たちはその予兆が、ほかの企みに妨げられることなく、朝の新しい光の中で時間をかけて膨らんでいくのを、注意深くひそやかに見守ろうとする。夜はようやく明けたばかりだ」。

また夜が来る前に、われわれは何かを取り戻さなければならない。それはいつまた失われてしまうかもしれない。われわれは「どこまで逃げても逃げられない」のかもしれない。昼の光はほんの一時的なものにしか過ぎないのかもしれない。でも、それもまた生きていくための燃料となるはずだ、「次の闇が訪れるまでに、まだ時間はある」。

この『アフターダーク』から村上世界は第三期に入ったと考えてよいだろう。

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