2011年11月1日火曜日

ねじまき鳥クロニクル

この超大作は、『パン屋再襲撃』に収められている「ねじまき鳥と火曜日の女」が原型となっている。第1部、第2部が1994年、第3部は1995年に上梓された。

失業した「僕」、岡田亨が家事を担当するようになると、まず猫がいなくなり、それから奇妙なことが次々と起こり始める。知らない女からの電話に始まり、予知能力者の加納マルタや、ノモンハン事件の生存者、本田老人が出現する。

こうして物語は日本の戦争、歴史へと発展していく。妻が失踪し、洞れた井戸に潜り込む「僕」は、そこでそれまで見えなかったものに遭遇する。処女作から一貫して登場してきた「井戸」がここでは前面に出てくる。主人公自らが進んでその井戸に入っていく設定となっている。

このことがこの作品の中で、最も重要な位置を占めるといっていいだろう。そして、そこに自己の内部の探求だけでなく、日本の近代化の中で歪められてきた歴史の真相といったものが絡んでくる。この作品は、90年代の村上春樹の仕事の中核をなすものとして大いに注目すべきであると同時に、彼のそれまでの作品世界の総決算的なものである。

村上はこの作品に4年以上の歳月を費やしたわけだが、奇しくも書き終えるとほぼ時を同じくして、地下鉄サリン事件が起きている。この事件を村上はこう分析している「私たちがわざわざ意識して排除しなくてはならないものが、ひょっとしてそこに含まれていたのではないか」と。つまり、そこに「我々が直視することを避け、意識的に、あるいは無意識的に現実というフェイズから排除し続けている、自分自身の内なる部分(アンダーグラウンド)」を見いだしているのである(「目じるしのない悪夢」)。

そして、それはまさに、井戸に入っていった主人公が追い求めたものなのだ。われわれが意識的に無意識の闇の中に葬り去ろうとしてきたことをもう1度呼び起こし、それを直視しようという姿勢がそこにはある。このように考えると、ノンフィクションではあるが、『アンダーグラウンド』と『約束された場所で』の2つはともに『ねじまき鳥クロニクル』の続編的性格を帯びてくる。

すべてが実に巧妙につながってくるのだ。まるであらかじめ計画されていたかのように。しかし、登場人物たちは今もなかなかうまくつながれないでいるのが現状だ。地下深く掘り進んでいくことで、いずれは地下の水脈のごとくつながっていけるのだろうか。その答えは、『スプートニクの恋人』へと持ち越される。

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