「僕」には、かつて学生時代に直子という恋人がいた。
そして1973年の今現在、「僕」は友人と二人で翻訳事務所を開いている。アパートにはいつの間にか住み着いた双子の女の子がいる。この二人には名前はなく、「僕」はそれぞれを「208」「209」と呼んでいる。
彼女たちにコーヒーを入れてもらったり、一緒にゴルフ場を散歩したりして、「僕」は毎日を送っている。ある時、三人は「貯水池」まで出かけていって、不要になった電話の「配電盤のお葬式」をするが、この場面は時代の過渡期を表すという意味で非常に重要な役割を担っている。
一方、遠くにいる「鼠」は、年上の女との関わりがますますその存在感を膨らませていくのを感じとっていた。彼はそんな日常生活から脱出しようとする。そして、「街を出ることにするよ」とジェイに伝える。1970年の冬、「僕」はピンボールの虜になった。それは3フリッパーの「スペースシップ」というモデルだ。
彼女(「スペースシップ」)とはベストスコアまで出した仲だったが、1971年2月、彼女は突然姿を消してしまった。彼女との「短い蜜月」は終わったのだ。しかし、「僕」は彼女のことが忘れられなかった。あるゲームセンターでピンボール・マニアのスペイン語講師の名前を教えてもらい、そこから彼女の捜索が始まる。
そして秋も深まったころ、「僕」は再び彼女とめぐり合う。ベストスコアを汚したくない「僕」は、ゲームをやらずに彼女を後にする。最後に双子が「僕」のアパートを出て行って物語は終わる。不要になった配電盤のように、「僕」自信も行き場のない思いに取りつかれていた。「鼠」はもうひとりの「僕」を思わせるようだ。
つまり、「僕」と「鼠」の二人の間に配電盤が位置しているのである。
大江健三郎の『万延元年のフットボール』を思わせるタイトルだが、処女作の『風の歌を聴け』とこの作品は海外では正式には紹介されていない。村上は次の『羊をめぐる冒険』で海外デビューを果たすのである。そこにはストーリーから物語の世界への移行という、村上にとっての大きな課題があったことが窺える。
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