37歳になった主人公のワタナベトオルが、ボーイング747機でハンブルク空港に到着するところからこの物語は始まる。
しかし、この飛行機はどこからやってきたのかわからない。読者は、それがどこの空港から飛んできたのかを知らされないのだ。
またなぜ、ハンブルクに来たのかさえ知らされることはない。そしてこのジャンボ・ジェットが到着すると同時に、われわれは主人公の回想の世界へと誘い込まれていく。
時代は1969年までさかのぼり、これがワタナベトオルとそのガールフレンド、直子の物語であることを知らされる。こうしてストーリーはフラッシュバック形式で展開していく。ワタナベが大学に入ってまもなく、高校時代からの知り合いである直子に電車の中で偶然再会する。彼女はワタナベの友人であったキズキのガールフレンドだったが、彼は高校生のときに自殺していた。
ワタナベと直子は東京でデートを重ねるようになり、彼女の20歳の誕生日に2人は結ばれる。しかしその直後に直子は姿を消してしまう。しばらくたってワタナベは直子から手紙を受けとり、彼女が精神的に病んでおり、今は京都の山の中にある療養所に入っていることを知らされる。
ワタナベは直子に関する事実を知ったころ、緑という女の子と大学のキャンパスで知り合う。彼女は若くて瑞々しく、活力にあふれる女性で、直子とはまさに正反対であった。
この後、ワタナベは二人の女性の間で揺れ続けることになる。物語の後半で、ワタナベは最終的に直子をその精神的な病から救いだすことができず、彼女は深い森の中で自らの命を絶ってしまう。苦しんだ挙句にその悲しみから何とか立ち直ったワタナベは、緑に連絡を取ろうとするが、電話ボックスの中で自分の居場所を告げることもできないまま、ただ彼女の名前を呼び続けているのだった。
こうして物語は終わる。
この作品の原型となっているのは、『螢・納屋を焼く・その他の短編』に収められている「螢」という短編である。これが第三章に組み込まれている。(ただし、「彼女」が直子に替わっている)。
このいきさつについて、村上は次のように語っている「僕は昔『螢』という話が書きたくて、さっと書いちゃったんです。で、短編としての出来もそう悪くなかったと思うんです。ただね、語り残した、もっと上手く書けたはずという思いは僕の心の中にずっと残っていたんです。それにケリをつけたいということはずっと思っていたんです。もっと膨らませて、もっと力のあるものにしたい、と。でも(中略)結構かかっちゃったですね、(中略)ケリをつけられるだけの力を蓄えるまでに」(「村上春樹ロング・インタヴユー」、『Par Avion』1988年4月号)。
こうして第一章に物語を過去へと引き戻すための回想のシーンが描かれ、第二章から約20年前に住んでいた学生寮の話が始まり、物語は展開していく。
再び村上の言葉を引用すると「僕は『螢』を何とかふくらませよう、伸ばそうというところから始まっているから、登場人物も後からもってきたわけです。例えば緑なんていうのはまったく出てこなかったし。だから、『螢』が終わった時点からどう話を伸ばそうか、これは相当考えたんですよね。で、緑という女の子のことを思いついたところで話はどんどん進んでいっちゃつた。だから直子という存在の対極にあるというか、対立する存在としての緑を出してきた時点で小説はもうできたようなものだったわけです。あとは永沢くんというちょっと奇妙な人物を出してきた。この3人の設定でうまくいってるんですね」。
こうして物語は、「僕」と直子、そして「僕」と緑という2つの平行した関係を中心に進んでいく。病気療養をしている直子と健全なイメージの緑は対照的な存在である。この2人はそれぞれ「静」と「動」、あるいは「生」と「死」というふうに、村上流の二つの世界を形成している。
そのあいだに、キズキ、レイコ、永沢、そしてハツミという人物が絡まってくる。この作品においてはじめて主人公をはじめ登場人物に名前が与えられることになるが、それは意図的にリアリズム小説を書こうとする以上は仕方のないことであったようだ。
名前がないと3人の会話が書けないという制約が生じるからだ。それは結果的に「物語を進化させていく段階」であったようだが、この作品は村上自身がほんとうに書きたい種類の小説ではないという。
ただリアリズムの文体でも長編が書けるという「確証」がほしかっただけで、今後2度と書くことはないようだ。その最大の理由は、他の小説とは違い、この作品は「あそこで終わっている」もので、作家としても作品としてもそれ以上広がっていく可能性がないから。
読者の中にはあの物語のその後に興味を持っている人もいると思われるが、村上のなかでは終わった作品だということだ。
短篇はともかく、今後われわれが村上によるリアリズムの長編を手にすることはなさそうだ。(『考える人』)大きな話題を呼び、社会現象となったこの作品は、空前のベストセラーとなり、長きにわたって読み継がれてきた。この小説はトラン・アン・ユン監督により映画化された(2010年12月公開)。
0 件のコメント:
コメントを投稿