2011年10月25日火曜日

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

谷崎潤一郎賞受賞作品。2つの物語が同時に進行していく小説。

1つは「世界の終り」で、もう1つは「ハードボイルド・ワンダーランド」。これら2つの世界が交互に語られる形式となっている。
前者の主人公は「僕」で、後者は「私」である。最初はまったく関連性のない2つの違った物語のようであるが、最後にはこれらが見事につながっていく。

「世界の終り」の舞台は、高い壁に囲まれ、外界との接触が絶たれた街であり、「僕」はそこの図書館で一角獣たちの頭骨から古い夢を読んで暮らしている。
「ハードボイルド・ワンダーランド」における「私」は、老科学者によってある思考回路を意識の中に組み込まれており、その回路を巡って次から次へといろいろな事件が起こる。

「世界の終り」が「静」の世界なら、「ハードボイルド・ワンダーランド」は「動」の世界だ。
「私」の冒険は続く。そんな中で「私」は回路の秘密を知ることになるが、それは、「私」にはあとわずかしか時間が残されていないということであった。知らないうちに「私」の世界が終わろうとしているのだ。

また一方、「世界の終り」では、「僕」の脱出計画が進行している。弱った「影」を連れた「僕」はようやく出口に到着する。その向こうには外の世界が広がっている。しかし、自分自身が作り出したこの街に対する責任を取るために、「僕」はそこに残る決心をする。そうして「影」は一人で古い世界へと戻っていく。

この長編は、「街と、その不確かな壁」(『文學界』1980年)が原型となっている作品である。正確に言えば、それは「世界の終り」のほうの原型になっているわけだが、村上自身の言葉によると、本にしないで放りっぱなしにしていたこの作品を何とか書き直したかったということだ。
それがこの長いタイトルの作品に生まれ変わったわけだが、手法としては、2つの物語の「パラレル・ワールド」ということになる。

このように並行世界を描く方法は村上の作品世界の基本をなしているものであり、それは、「存在」と「不在」であり、また「静」と「動」であったりするものである。またさらに「世界の終わり」では、本来一緒でなければならないはずの自分とその影が別々になってしまっている。つまり、自分ともう一つの自分がばらばらになっているのだ。

こうした村上的世界は、この作品においてもっとも明確に表現されていると言ってよい。その技巧的な完成度は極めて高いものだ。その意味においても、すべての作品はこの長編につながると言える。

0 件のコメント:

コメントを投稿